メンバー限定:自分のエゴとの向き合い方

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[ 著者:スピリチュアルアドバイザー 井上直哉]
現実世界で活かされるスピリチュアルをモットーに、人としての生き方についてブログを執筆しています。このブログを読んで感じることがあったら、ぜひ「いいね」&「シェア」お願いします。 [詳しいプロフィール] [サービスメニュー]  [お問合せ]

こんにちは。
心理とスピリチュアルの専門家 井上です。

今回の記事は、
本当はオフィシャルで書こうか、
少し悩みました。

ですが、
これをオフィシャルで書くと
一般的な考え方とは
真逆のことを言うことなります。

いかんせん、
反発を受けることも多いだろうと
思うのです。

きっとこんなことを言うのは、
私ぐらいなことでしょう。

ですので、
今回はこちらのメンバーズに
書いておこうと思います。

これは比較的、
自己修養に熱心な方は、
陥り易い問題点だと思いますので、
注意しておいてください。

それは自分のエゴとの
向き合い方です。

 

自分のエゴとの向き合い方

 

あなたは
この「エゴ」という言葉、
どのような意味か解りますか?

「エゴ」と言えば、
比較的誰もが聞いたことのある言葉ですし、
何となくその言葉の意味を
捉えている方も多いでしょう。

まずはこの「エゴ」について、
簡単にだけ確認しておきましょう。

では、最初はいつもの、
Wikpediaから引用しましょう。

自我 – 単に英語で自我を意味する「ego」のカタカナ転写。自己を対象とする認識作用、哲学および精神分析学における概念。

利己主義 – エゴイズムの略 – 自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方。一般的にエゴと言ったら上記の自我ではなくこの意味で使われることが多い。

Wikipedia引用:エゴ

 

少し難しい言葉を使てますが、
まだWikpediaの説明の中では、
解り易い方ですよね。

「エゴ」とは、
英語の自我を意味する「ego」の
カタカナ表記であり。

哲学や精神分析などで用いられる、
自我を意味する言葉です。

そして一般的には、
「エゴイズム=利己主義」の
略語として使われることが
多いです。

自分の利益ばかり重視して、
周りの人のことを
考えない姿勢ですね。

己の利益を中心に
物事を考えてしまう心持ちです。

 

では、それとは別に
ネット辞典から
その意味を見て行きましょう。

① 認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分。自己。自我。

② フロイトの用語。感覚の刺激や肉体的要求の知覚と、身体運動との間を調節する心理装置。自己保存の役割を果たす。自我。

③ 自分本位の考え方や態度。また、そういう考え方の人。エゴイスト。エゴイズム。

コトバンク引用:エゴ

 

なんか、
さらに難しい内容に
成ってきましたね。

①の「他と区別される自分」は
何となく解ります。

ですが、
②のフロイトの用語に成ると、
少し解釈が大変です。

これを解釈すると、
私たちが「感じて、動く」時の
間にある意識ですから、
考える自己と言えるでしょう。

そして③は、
先程のWikipediaと同じ、
「エゴイズム」の略としての、
利己主義という意味です。

 

ここまでの内容で解ることは、
「エゴ」には大きく2つの意味があり。

「自我」を意味するエゴと、
「利己主義」を意味するエゴが、
あるということです。

私たちは
漠然と言葉の意味を掴んで
使っていますが。

調べてみると、
改めて明確に成ってきますよね。

そこで、
あなたのこれまでの
「エゴ」という言葉に対する認識は
いかがでしたでしょうか?

どちらかと言えば、
この2つの意味が
合わさったイメージじゃないですか?

簡単に言えば、
「利己主義的な自我」です。

自分の中の、
自己中な自分や、
否定的な自分を、
「エゴ」と捉えていませんか?

エゴって、自分の中の、
我儘な自分であったり、
否定的な考えを出す自分だと。

いかがですか?

まあ、中には、
本当に修行系の方で、
「自分を捨てる=自分のエゴを捨てる」と
捉えている方も居るかもしれません。

 

先日、ある方から、
サイトのお問い合わせを通じて
相談をいただきました。

もうお察しだと思いますが、
修行系の方です。(笑)

簡単に内容を要約すると。

「これまでに
 色々な本を読んで、セミナーにもでて、
 エゴを捨てることの大切さを
 学んできました。

 そして自分なりに、
 エゴを捨てるために、
 いろいろと取り組んできました。

 ですが、
 なかなか取り除くことが
 出来ません。

 どうすれば、
 自分のエゴを捨てることが
 出来るのでしょう?

 何かアドバイスを頂けますか。」

こんな感じです。

これは修行系?というか、
スピリチュアル系?というか。

そんな自己修養を勧める
人たちに特にありがちな、
考え方です。

自分の「エゴを捨てる」とか。

「自我を捨てる」とか。

「自分を捨てる」とか。

「自分の欲を捨てる」とか。

「自分の執着を捨てる」とか。

とにかく
捨てるのが大好きなんです。

きっとお家の中の断捨離や
断食も好きだと思います。(笑)

捨てる系なので。(笑)

いわゆる、
世俗的な物を
全て捨てたいのです。

 

でも私は、
「それって、
 どうなのだろう?」
と思うのです。

エゴも、
自我も、自分も、
欲も、執着も。

全て紛れもなく、
私たち自身の一部です。

自分の一部を捨てて、
それで本当に自己修養に
成るのだろうかと。

あなたも思いませんか?

確かにエゴや自我と言われれば、
どこか利己主義的な
自分であったり。

ネガティブな
自分の一面かもしれません。

でもそれ、
本当に捨ててしまって良いの?

確かに欲や執着と言われれば、
それは自分を惑わしたり、
困らせる自分の一面でしょう。

それを無くして、
心の安らぎを実現したいのは、
とても良く解ります。

でも、
それさえも、
紛れもなく自分の一部だよね。

本当に
それを捨ててしまえば、
全てOKなの?

 

私が思うに、
このエゴを捨てるという考え方は
あまりにもザックリだと
思うのです。

それは、
本当に何をすればいいのか、
細かく説明せずに、
エゴを捨てると言っているのだと。

というのも、
先程も申し上げたように。

スピリチュアルに見れば、
それらでさえも
自分のエネルギーの
一部だといえます。

特に自分のエネルギーが、
感情的に停滞している
部分がエゴであり、
欲や執着なのです。

ですから、
それだけ多くのエネルギーが
停滞している部分だといえます。

でも自分から
それを捨て去ってしまったら、
それでは結果的に、
エネルギー不足に陥るでしょう。

それに欲や執着など、
自分のネガティブな一面が
顔を出す度に捨てなきゃって
思っていたら。

それは自己否定になります。

中には明らかに
自己嫌悪に成っている方も
いるのです。

エゴを捨てようと考えるあまり、
そんな否定的な自分を
嫌悪する方も。

 

そう、私たちに
欲や執着があるのは、
その奥に何らかの不安や
恐れがあるからです。

私たちが
否定的に成ったり、
利己主義に走ってしまうのも。

その奥に
強い不安や恐れが
あるからなのです。

でもそれを
癒そうとせずに、
全て捨て去っていたら、
どうなるでしょう。

それは
癒すべき自分の心から、
目を背けるのと同じ。

それは傷ついている
自分の心の一部を、
捨て去るのと同じなのです。

ただ拒否するのと
同じなのです。

 

ですから、
私は思います。

欲や執着も
エゴも自我も利己的な気持ちも。

無理やり捨て去ろうと
するのではなく。

その全てが、
自分の気持ちの
一面であることを認め。

そして受け入れ、
癒していく必要があると。

そうすれば自然と、
欲や執着は消え去り。

エゴや自我も
自分の一部として、
許可できるようになります。

捨て去るのではなく、
心から受け入れ
認められるように
なるのです。

それが
自分のエネルギーを浄化して
統合することであり。

トラウマやカルマのない
本来の自分らしさを
取り戻す方法に成るのだと。

実感しているのです。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

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 現実的なスピリチュアルをモットーに、日頃の生活で感じている気付きや学びをブログで紹介しています。心と実生活の豊かさを両立させるために、自らも学び伝えることに喜びを感じており、セミナーの『心を癒す魔法の言葉®』を世界中の人に伝えることを人生の目的として活動中。最近始めた趣味は料理。Myレシピは「餡かけチャーハン」。オーラ透視と心理療法の専門家です。